<令和 千鳥ヶ淵インタビュー①②③④>
④ 30周年コンサートをきっかけに、
代を越えた交流が活発に
──1代目のみなさんがアラフィフになられて、創部30周年コンサートの話が出たときには、びっくりしました。あの周年コンサートが40周年、50周年に繋がりましたよね。
ケンケン
「30周年コンサートのきっかけは、その前年に開かれた明治大学フォークソングクラブの35周年記念コンサートのゲストに招いていただいたこと。1代目から9代目までの約40人が参加して、火がついたんでしょうね。『大妻でも30周年できないかしら』ということになって」
それからは各代、卒業後しばらく会っていないような人にも連絡を取って、交流を再開。同学年の横のつながりを作り、同時に各代代表が集まる実行委員会で、先輩後輩の縦のつながりができてきた気がします。シングアウト世代のOGなら誰でも歌える『Green Green』と『Teach your children & Pack up your sorrows』の2曲もみんなをつないでくれました。
今ではそれぞれ生活環境もさまざま。お互いに無理をせず、「できる時に、できる人が、できることをやる」が合言葉になっていきました。
ケンケン
「こうしてクラブが続いたのも、藤井さんが、私たちの卒業後も後輩の面倒を見てくださり、コーチ陣を繋げてくれたおかげですね。OGの同窓会ライブとか他校とのジョイントコンサートとか、後輩たちが演奏を披露できる場を次々に提供してくれたことも、ここまでつなげることができた大きな要因だと思っています。
グループラインを作って、『今度、後輩たちがこんなことやります』と連絡くださったり、そこに参加させていただいたり。本当に長い間、お世話になっています」
──そしていよいよ節目の50周年ですね!
ケンケン
「今回出演するのは、1代目から12代目のシングアウト世代ですが、その後もクラブはバンド形式で引き継がれ、途中途切れなかったわけですもんね。後輩のみなさんがよくつなげてくださったなと思います。ありがたいです、こんなふうにクラブを広げていっていただいて」
──しかも会場は母校大妻講堂に決まりました。
コロナの蔓延、大妻講堂の大規模リフォームで、大学から講堂の使用許可がなかなかおりず、開催日の見通しもつかないまま時間ばかりが過ぎていきました。やむなくほかのホールへの路線変更も現実味を帯びてきた時、動いてくれたのが1代目のえのさんでした。
かつて大妻で仕事をしていたツテで、講堂関係者を紹介してくださり、幹事と1代目が学校を訪問して直談判。これをきっかけに具体的な交渉が進んでいきました。
ケンケン
「1代目としても、やっぱりそこでやりたい。そこがいいに決まってる(笑)。入学式も卒業式も文化祭も、あのステージにのせていただいたので。思い出のあるところでやりたいという気持ちがずっとあったんだと思います。後輩のみなさんが、それをくつがえさず、一生懸命に交渉してくださったことに感謝しています。
でも、規模の大きなコンサートになって、本当によかったのかな…という気持ちもあるんですよ。全部終わったあとにみなさんが『ここでやれてよかった』『また!』というようなお気持ちになってくださったらいいのですが」
えのさん
「今回現役のかたも参加されますけど、今後、60周年70周年と続けてもらえたらすごく嬉しいですね」
ケンケン
「いずれ会場は武道館とか?? 私たちの学び舎にも近いですもんね。ふふふ」
──今日は、長時間、楽しいお話をありがとうございました!
いつのまにか霧雨もあがって薄日も差してきました。2023年夏。身体にこたえる暑さが続く中、ちょっとほっとできる、ある意味ラッキーなインタビュー日となりました。