<令和 千鳥ヶ淵インタビュー①②③④>
③ 大妻シングアウト 事始め
──最初のコンサートマスターはどのように決まったのですか?
おんたん(音楽担当からついたニックネーム)
「『誰かやりませんか?』と言われた時は、そんなにたいしたこともしないで終わるクラブだろうなと思っていたので(笑)、手をあげるのをためらってたんです」
ケンケン
「でもおんたんは歌がダントツにお上手で。みんなで「やっていただきたいわ」ということになったのではなかったかしら」
──1代目として前例のない中で、みんなをまとめていくのは大変だったのでは?
おんたん
「それは大変でした。コーチの指導も基本は厳しくて、私も言わなきゃいけないことはハッキリ言わなきゃいけないでしょ。みんなを導いていかなければならないから」
ケンケン
「コーチもオンタンも素晴らしいことはみんな十分認識していたから、何を言われても素直に受け入れることができた気がします。『ごもっとも』って(笑)」
おんたん
「後年、夫には、「君は上からものを言うから(笑)、そういう役があってたんだよ」って言われたのよ。失礼よね?(笑)」
ケンケン
「練習を始めてみると、コーチ陣の教え方もお上手だったと思うのですが、何しろ楽しかったです! そんな様子を見て、えのさんは2年生の5月に入部されたくらい」
えのさん
「出遅れてるんですけどね。みなさんが歌っているのを見ていると本当に楽しそうで。『あー、私も一緒に歌いたいなあ』と思って入りました。入ってみると、ハモりが入って1曲を大勢で歌うのがものすごく楽しくなってきて」
ケンケン
「えのさんが途中から入ったという意識はないです。卒業後も長く付き合っているというのもありますが、シングアウトで培った仲間意識がそうさせるんだと思います。シングアウトにはそんな良さがありますよね。でも練習は意外に体育会系で、規律も厳しかったわね」
2年生の10月までマネージャーをしていたケンケンさんの手元には、当時のノートが何冊も残されていました。それによると、練習日には必ず出欠を取り、毎回練習内容や練習中の発言も記録。春期合宿のしおりの最初のページに「合宿目的」が掲げられています。「技術の向上」「部員相互の親睦」。その下には「注意」が。「時間厳守(5分前に必ず集合のこと)」「部屋の整理整頓」「コーチ、宿泊所の人への礼儀」「規則正しい団体生活をおくる」!!!
1日の時間割には、練習の文字が繰り返され、毎日20時にミーティング、23時消灯まで「自由時間」という名の個人練習が続きました。
そして女子大生ブーム、フォークソングブームに乗って、活躍の場は広がっていきました。
ラジオ、テレビ、他校の文化祭、イベントなどにも出演。レコードも2枚リリース。テレビやイベントの出演料で、みんなで使えるウッドベースやタンバリンも購入しました。
ケンケン
「でもまだ同好会だったので(部として承認されるのは4代目のとき)部室もなくて、ウッドベースの置き場所もなかったんです。
そんな時、お世話になったのが学生課の部長さんだった大妻先生。大妻コタカ先生の甥っ子さんでした。学校の守衛さんも私たちのことをすごく応援してくださって。何度も練習やステージを観に来てくれたし、学校に教えに来るコーチにも親切に接してくれました。
そんなみなさんのご協力で、ウッドベースの置き場所も学校中探し回って、屋上に出る踊り場に置かせてもらえることになりました。
テレビに出るなんて、なかなか許可していただけないことも、学生課の大妻先生が書類を通して下さって。本当に、学校のみなさんの協力を得て、いろんなことができました。
ほとんど毎日みんなと一緒にいたので、学科も家政科、英文科、国文科というより『フォークソング科』に通っていたんじゃないかと思うくらいです(笑)」
1代目がつけたクラブの愛称「なっとう」さながら、一粒一粒を離そうと思ってもまたくっつく、粘り強くて味わい深いチームに、みんなで作り上げていった様子が伝わってきます。
──1代目のみなさんには、やはり開拓者のパワーがありますね。
ケンケン
「当時、チェリーズも大活躍で、マネージャー役のかたがいらしたくらい。 あ、そうそう! 私たちも、いずみたくシンガーズ(※)から、入らないかとオファーもいただいたことも。今のAKBのさきがけみたいなものですか?(笑)。でも卒業後の進路が決まっていた人も多かったので、丁重にお断りさせていただいたんですけどね(笑)。
本当にブームに乗ったというか、面白い時代で、いろんな活動をさせていただきました」
※いずみたくシンガーズ
幅広いジャンルの作曲で知られるいずみたく氏が、1973年、若手歌手をスカウトで集め、プロデュース・監督を務める「いずみたくシンガーズ」を結成。テレビ出演やステージ公演活動を行った。学園ドラマ『われら青春!』の主題歌『帰らざる日のために』など作品多数。