<令和 千鳥ヶ淵インタビュー①②③④>
② シングアウト?
私たちもやってみたい!
ケンケン
「KWのコンサートに行きたくて、チケットを買わせていただきました。それで観に行ってみると、大人数で歌うシングアウトのステージが新鮮で楽しくて! 終演後、1000人以上も人がいる会場のホールで、再び和田さんと会えたんです。なぜ会えたのかは、記憶がないのですが(笑)。
で、その時私たちが持っていたチェリーズのコンサートの券を買ってもらって。今度は和田さんが武蔵野公会堂まで観に来てくれました。そのときには私とヌーさんで和田さんに会い、お話できたんです。ヌーさんはそのときが和田さんとの初対面でした」
「後日会いましょう」と約束した、ちょうどその頃、ケンケンさんたちは鈴木コーチから、「曲のアレンジをするよう」課題を出されていたとか。それを和田さんに話してみたところ……。
ケンケン
「教えて下さると(笑)。和田さんが授業を受けていた慶應の日吉キャンパスに来るように言われて、ヌーさんと行きました。その時、和田さんの誘いで同じKW1年生の藤井(和貴)さんも来てくれて、4人で一緒に大教室で授業を受けた覚えがあります」
──花の短大生をキャンパスに呼び寄せて(笑)。それで課題曲のアレンジに力を貸してくれたんですね?
ケンケン
「はい。授業の後、日吉校舎の大きな木の下で、藤井さんがギターを弾きながら、アレンジして、熱心にご指導くださいました。それを和田さんは立ったまま黙って見守って。気がついたら日も暮れて、あたりはだいぶ暗くなっていたことを覚えています」
KWを通して “シングアウト”を知り、「やってみたい」と思い始めた二人。果たしてそんなことが可能なのか? どんなことから始めればいいの? 次々にわいてくる疑問を、二人は和田さんに相談してみることにしました。
偶然にも、和田さん、ヌーさん、ケンケンさんの3人の住まいが近かったこともあり、中央線荻窪駅近くの喫茶店に3人は集結。
ケンケン
「結果的には8時間以上(!)そこに居て、いろいろなお話しをしました。それで「やっぱり大妻でもやってみたい」、ついては和田さんにコーチをお願いできないか、相談しました」
当時KWでは、他大学にコーチに行く例はあったものの、1年生の和田さんが、今までつきあいのない、しかもシングアウト初心者の短大のコーチを引き受けるのは、かなり冒険だったはず!
でも二人の熱意に、和田さんも興味を持ち、覚悟を決めてくれました。
ケンケン
「「当時、『バンド形式で続けられるかしら』と思っていたかたもいらして、『シングアウトに変わるのでしたら続けたい』と、全員の賛同を得て、フォークソング同好会は、大学のバンド形式と短大のシングアウトの2本柱で活動することになりました」
ちょうどテレビでは、NHKの音楽番組『ステージ101』が話題に。「ああいう形じゃないのかしらね」「やってみましょう」と、コーチと部員、ゼロからのチャレンジが始まりました。
──コーチには和田さん、藤井さん、同じく慶應の京極(謙)さんが来て下さることになり、成蹊の鈴木コーチは?
ケンケン
「春合宿にも参加して、ギターも熱心に指導してくれていたのですが、シングアウト形式に変わっていく中では、指導力を発揮しかねていらしたので、退いていただこうと。お話ししようとしたところ、とてもいいかたで、察して自分から 『退かせてもらいます』と言ってくださいました。水道橋の橋の上でした。和田さんとは荻窪の喫茶店で8時間。
今思うと、本当にご無礼なことをしました」