<令和 千鳥ヶ淵インタビュー①②③④>
① 始まりは、1971年、
ヌーさんとケンケンさんから
そもそも短大にフォークソングのクラブがなかった時代。ギターを弾いて歌を楽しんでいたヌーさん(初代部長、本橋恵子さん。残念ながら50周年コンサートは体調不良で不参加)とケンケンさんは、学校に届いた各クラブ宛ての郵便物の中に、偶然「フォークソング同好会」の宛名を発見します。えっ? 大妻にフォークソングの同好会があるの?
大学に同好会があることを知った2人は、学生課に橋渡しをしてもらい直接話ができることに。そこで活動していたのが、当時3年生の「チェリーズ」というバンドでした。
交渉の結果、二人も仲間に入れてもらえることになり、3年生と短大1年生2名の同好会に。そこで2人は短大生の部員募集を開始します。学校中にポスターを貼り、それを見て28名もの短大生が集まりました。
ケンケン
「最初はバンド形式だったんです。チェリーズに『Bye Bye Love』を教えていただきました。
ギターの指導には、チェリーズのかたが、成蹊大学の学生だった鈴木コーチをつけてくださいました」
それから数ヶ月後の秋。ケンケンさんに新たな出会いが訪れます。
他校の友人と出かけた、早稲田大学と慶應大学のジョイントコンサート会場で開場を待っていると、KW(慶應世界民族音楽研究会)のコンサートのチケットを買ってもらえないかと声をかけてきた慶大1年生がいました。それが和田(将志)さん。